何をするにも面倒
このタイトルを書いてから瞑想をした。
確かに何をするにも面倒に感じることがある。
働くのも面倒。勉強するのも面倒。トイレに行くのすら面倒だと感じる時、瞬間がある。
それはきっと生きるの目が面倒だから起きる現象だ。
何故生きるのが面倒に感じるのか。それは、生き甲斐がないと感じているから。
生きる目的が分からないから。人生に意味を求めているからそう思うのだ。
しかし実際は人生に意味なんてない。
神様が「君はこれが生きる意味だ。」と言って人生を与えたなら、何故与えられた意味を探すところから始めなきゃいけないのだろう?
人生が終わった時に答え合わせ出来るとしたら、生きている間は何をしても、正解ではないだろうか?
何故なら終わらないと答えは分からないから。
終わってしまった時点でこの人生は二度と歩めない。